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小田原城攻略

  • 2017年12月08日
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先日、天気も良く早めに目が覚めたので、のんびり電車旅に行ってまいりました。
目的は桶でラーメンを出している鯵壱北條というお店なのですが、今回は側にある小田原城をお散歩してきましたのでそのお話し・・・
さて、お城に興味が無い方もいらっしゃいますので見方を変えて眺める方法を建築屋の立場でお話ししましょう(あくまで個人の感想と言う事でご理解ください)
現在の日本家屋(在来工法)の元となる造りが全て凝縮されています。
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復元されていますので、現在の技術を取り入れた再現方法を用いられている場所が、随所に見られますが、それでも昭和40年頃の技術で再現されていますので歴史としては参考に成るのではないかと思います。

まず石垣を見てみましょう
大きな視点で見ると、台形の形を形成しています。これは西洋のお城と違い地震が多く揺れた時の力の逃がし方を考慮した造りでは無いかと思います。角の部分と中央の部分の隙間の違いが力を逃がす部分と建物を支える部分とに分かれているようです。(接着剤代わりのコンクリートが無い時代の知恵でしょうね!完璧な柔構造です)
熊本城の地震の結果を想像するとなるほどですねー

さて、攻略と書いていますので、攻めの方法を想像しますと、石垣は頂上に向かって垂直となっています。これは、縄文だか弥生時代だかの頃からある構造で、教科書の挿絵にも使われた穀物蔵のねずみ返しを採用している為、登りにくい構造となっています。
蔵の穀物を荒らす外敵のねずみと忍者などの隠密行動をとるスパイを同意語として、ねずみと呼んでいるのだと思いますが、行動も同じで防御方法も同じなのではないでしょうか
人間の場合は、道具を使いますので、耐力を削ぐ高さとなっております。
私は、多分落ちる側でしょうね

さて、材料の石に目を向けてみましょう。当時の運搬方法も大変な重労働であったと思います。石切り場の事故も多々あったと思います。
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石にも色々種類が有りまして、現在のように何々岩とかのくくりではなく、硬度の振り分けで、2種類ありました。(父が石切り場で石工をしていまして)
一つは、赤石(赤い色の石)といって割れやすい(強度不足)の石と、もう一つは青石(青い色の石)という硬い石の2種類があります。
お城は、当然に青石を使って築城されています。赤石は探しても見当たりません。
余談ですが、
護岸工事にも使われる6角形のコンクリートブロックの間知石もこれを基に開発されています。
昭和に作成されているのであれば、石の加工は容易に出来ます。
まず石切り場にて、発破(ダイナマイト)で固まりを落とし、それをエアハンマ(道路工事で使うダダダダダッと壊す機械です)で溝を作り、そこにタガネを差し込んでハンマーで叩いて割る作業を繰り返してサイズを調整して出来上がりですが、戦国時代の工事は全て手作業・・・気が遠くなる作業だったと思います。さぞ腕がしびれた事でしょう
昭和の運送方法は、ブルトーザーですくって、ダンプに積んで運ぶ、戦国時代は牛や馬に運ばせて山をいくつも越えてやっと運んだら、サイズが違うとか色々苦労もしたでしょう

お城に足を運んだら、石垣を観察してみたら、少しは、興味が湧くのではないでしょうか
見所は、U字型の掘り込みが、タガネを差し込んで割った部分、丸く筒状の穴が開いている場所は、ダイナマイトを差し込む為にあけた穴です。既存の石垣は現存していた部分が下にあり、手作業の為に荒削りや歪さが目立ちます。上に行くほど現代の改修が見て取れると思います。
改修の年代がこれから新しくなると、石の断面はもっと平滑に成っていくと思います。水圧カッターを使用した石切りとなると、御影石の墓石くらいに平滑に出来ますのでまた、違った出来栄えになるかもしれませんね!まあ、摩擦が無くなるためすべりをどうするかとか色々お偉い先生はお考えになるのでしょうが
それでは、次回は白く輝く漆喰壁についてお話し出来ればと思います。

営業 永畑